ドゥルーズ 流動の哲学
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『ドゥルーズ 流動の哲学 [増補改訂]』(宇野 邦一)|講談社
むしろいまも世界に蔓延しているのは、生(生命)よりも、権力や経済や情報、国家や治安、神や道徳をあがめる欲望であり観念であり、それが学や思想さえも侵食している。
これは確かにそうだ
生は死を意識しない限り常に思考しないからかなrkasu.icon
いつも考えるのは常に何をするかになってしまっているから
ある思想について一〇のことを理解して要領よく説明できるようになるよりも、二、三のことに強く触発され、それをきっかけに発想したり、活動したり、制作することのほうがいい(もちろん何もしないのもいい)。
これもわかるな。
結局何か本を読んでいても体系的覚えられずなにか心に刺さったものを噛み砕いて理解するほうが多い
身体的なことも限界があるように思考も限界まで行うことができるかが重要
世界の認識は、隣接する部分から部分へと、触覚に頼るようにして、局地的に進むことでしか実現できない。哲学の諸概念は、そのためにこそ使用される。ドゥルーズの、この全体を拒否するプラグマティズムは、いたるところで徹底されている姿勢なのだ。
ドゥルーズは理解より使用する「実際に試すことでしか世界は認識できない」的な思想を持っている
わかる。わかるぞrkasu.icon
時間と運動について思考する哲学者
ベルクソンもこういう考えである
時間を考えることは「差異」を考えること
差異には「程度の差」(量的)と「本性の差」(質的)がありドゥルーズは、本性の差を正確に識別することである
時間について考えることあるけどそれが差異について考えることになるの不思議な間隔がある
頭では分かっているけどrkasu.icon
記憶を単に、過ぎ去り弱まった知覚と捉えるのではなく、知覚とは決定的に(本性的に)異なったものとして考察しなくてはならない。記憶とは単に過去の知覚の刻印や残像ではなく、無限数の過去の連鎖や相互浸透からなっている。しかも持続として生きられる時間にとって、過去は単に過ぎ去った現在ではなく、現在は決して過去と切断されてはいない。現在と過去は絶対に同時的であり、現在とは、浸透し合い連鎖し合う潜在的過去の集積の先端であるにすぎない。こんなふうに捉えられた記憶と持続は、物質と知覚の次元に対して、決定的な質的差異をもっている。
過去の記憶、過去と現在は切断されていないという考えはわかる
連鎖であることもわかる。
「そして」「と」
AはBである
同一性を表現
AとBである
総和以外にもAにもBにも属さない何かを指すこともある
理性と悟性の話
AIくんの内容
悟性 (Understanding/Verstand)
カントによれば、感覚器が捉えた「バラバラな情報(色、形、音など)」を、空間や時間、さらには「因果関係」や「犬」「猫」といった概念を当てはめて理解・整理する能力。
日常的な判断力や科学的な認識の基礎となる。
理性 (Reason/Vernunft)
悟性がまとめた知識をもとに、さらに「それ自体はどうなのか?」と根本的な理由や普遍的なルールを求める働き。
感性(感覚)や悟性(概念)が捉えられない領域、例えば「魂」「世界全体」「神」といった究極的な対象(イデア)について思考しようとする。
スピノザの思想について
強く影響している
身体の力能と精神の力能は「並行的」である。
どっちかが混乱すると片方も混乱する
ニーチェについて
権力とか力、反復についても独特な見解がある
反復は同じことの繰り返しではない。少しずつ変化すること
プルースト
差異と反復 上の誕生
読むのは相当根気がいるらしい
同じモノであると分類する時に生物非生物みたいな分け方をする
それは一旦分けてしまえば関心がその中に向くのでよいが果たしてそういう分け方でいいのか
ノマド的配分
事物の差異は種や類によって配分されるのではない
表像によって分割しない
それぞれ個物として同じものの媒介を経ずに分割される
???rkasu.icon
世界はひとつであり同時に無限の差異がある的な
分ける必要なくね的な考え
第一の反復は「習慣」
第二の反復は「記憶」
第三の反復は「自我」をめぐる
時間をめぐる
言語の論理学
言語の意味を伝えるとき言語の次元は言語の内部にしかなく他の語や文でいいかえるしかない
言語自体に送り返され循環するしかない
アンチ・オイディプス
このあたりからフェリックス・ガタリと知り合い意気投合して共著をかくようになる
精神分裂症
人間の根源的な病
資本主義
たえず動かしている欲望を分裂症と不可分のものとしてみている
アルトー
芸術家。シュールレアリスム
分裂症に悩んでいた
しかしその中でも独創的な作品をいっぱい作っている
行きているときは評価されなかったが死語に評価された系の人物
改めて過去の作品含めてみるとオールジャンルな作品
分裂症は社会、歴史、思想を関通する本質的な出来事として生きられまたそのように把握されるべき問になったのである
納得感がある一文だrkasu.icon
欲望とはなんなのか
単に穴の空いた容器に詰め込むような行為ではない絶えず変身して合体して何か未知のものを生み出すこと
離接敵概念
AかBかという全く分離していること
欲望と資本主義はたえず相互に作用している
資本主義
自分の欲望を延長して労働をするけどその労働にすら欲望の回路が広がる
自己実現、他社による承認、報酬、人間関係
つまりもう働くという行為自体が欲望によって動き出している事実から逃げることはできなそう
自分がやりたいと思うことがそのまま対価となっているんだからrkasu.icon
ドゥルーズ=ガタリ的に分裂症とはこの欲望が外部から内部向けに押しつぶされている状態のことを指す
千のプラトーは、アンチ・オイディプスの拡張版
リゾーム
シフター
わたし、いま、ここ等
民衆は決して大衆ではない。特定の階級でも身分でも集団でもない。
民衆とはある言語行為の集団であり、移動、強度、生成の集団的状態そのもの
なんとなくわかるかも
#読書 #2026年に読んだ本 #ジル・ドゥルーズ